Cambodia 孤児院支援*現地レポート*自立人道支援プロジェクト

カンボジアのPCO孤児院★現地滞在のボランティアスタッフのレポートブログ*(2010年5月~)


2011年8月27日土曜日

8月25日(木)光 <船津>

7月5日から始まったPCO孤児院滞在も最後の日になりました。
50日間のここでの生活。
「生活環境、言動の手本となること」を最優先の課題として頂きました。毎日、特別変わったことをするわけでもなく、自分自身の日常の生活をきちんとすることを目標に暮らす日々。

「いったい特別なことって何だろう?」
今思うと、子どもたちと過ごす、一日一日その一瞬一瞬がすべて私にとって特別。今までの人生で、自分自身のことをこんなにかえりみたことはなかったです。

子どもたちの言動が、すべて鏡のように見えていました。子どもたちの心はまっすぐです。自分自身の一生懸命な心が緩むと、すべてそれは子どもたちの行動に表れます。

例えば、掃除、洗濯にしても毎日同じことを繰り返しているようで、同じことって何一つないこと。同じと決めるのは自分の心。1分でも早くできるように工夫したり、少しでも昨日よりきれいに出来る方法を考えたり・・・
常に改善しようという意識があれば、同じことというものは存在しないのだということに、気付かせて頂きました。

自分の生活、人生をどう楽しんで生きるかは、全部自分の心次第。頭では分かっていても、なかなか日本でそれが出来ない自分。常に自分や周りの人をジャッジして、人と比べたり、心穏やかに日々を暮らすということは難しいことのように思っていました。

この滞在50日間も、実際には感情の揺れがあったり、体がしんどくなったり色々なことがありました。でも、ふっとしたときに今までの自分も、今の自分も受け入れられる瞬間。自分の実力の範囲の「心穏やか」ですが、ほんの少しだけじんわりと、でも確実に心で感じさせて頂きました。

今日は、午前中に荷物の最後の片付けと掃除、日本へ持ち帰らせて頂くレモングラスの選別を行いました。












それから、お昼に子どもたちへお話をさせて頂き、みんなで記念写真を撮って頂きました。


必要以上に子どもたちとくっつくこともなく、小さい子どもたちの手を握ることもありませんでした。今の私の実力では、この距離が本当によかったと思います。

出発の時、車に乗ると子どもたちは門の両脇に立って待っていてくれました。そして、「さようなら」ではなく「いってらっしゃい」とまぶしい笑顔で手を振ってくれました。
私も笑顔で「いってきます!」
また、ここへ戻って来させて頂きたいと心から思いました。

「光」クメール語で「レスマイ」
子どもたちの光を見つけることは、自分の心の中にある光を感じること。


本当にこの2ヶ月間、貴重な体験をさせて頂きました。




セアロ、亜弥迦様、日本からサポートしてくださったみなさま、現地のサポーターのみなさま、この滞在支援へご尽力くださったみなさまへ心より感謝申し上げます。
PCO孤児院のスンタン先生とスタッフのみなさま。そして子どもたち。
本当にありがとうございました。

(reported by KABAKO)






2011年8月25日木曜日

8月24日(水)日本語活用のとき!! <船津>

今日は、カンボジアへ食糧支援などの活動をされている学生さん11名がPCO孤児院へ訪問されました。主に日本で活動をされていますが、年に2回ワークキャンプでカンボジアを訪れるそうです。

子どもたちも、昨晩から楽しみにしている様子。いつもより朝の掃除も気合いが入っていました。

PCO孤児院を運営されているスンタン先生へたくさんの質問を抱えて朝9:00すぎにPCOへ到着。

学生さんたちも、仏様、セアロへご挨拶をして教室の中へ。

隣の机で自習をしている子どもたち。少し緊張した様子で、静かにこちらを見ています。


まずは、私の方から、今回の滞在の目的、孤児院で必要なこと、不必要だと感じることなどをお話させて頂きました。

その後、スンタン先生への質問の時間。学生さんたちから
「なぜ、この孤児院の運営を始めようと思ったか」
「大変なことは何か」
「足りないものは何か」
子どもたちのこと、農業のことなどのいろいろな質問がありました。



熱心な学生さんたちに、スンタン先生も心をこめてお答えされていました。途中、スンタン先生も言葉を詰らせてお話される場面もあり、学生さんたちの中にも涙ぐむ方もいらっしゃいました。

それから、学生さんから子どもたちへのの質問。











子どもたちは、今まで学習した日本語を使うときがやってきたとノートや単語帳を見ながら、なんとか日本語で答えています。

短い時間でしたが、和やかで楽しい時間を過ごさせていただきました。真実を知り、そこからどう自分が自分自身の実際の行動にうつすか。

2ヶ月の滞在の最後に貴重な機会を与えて頂きました。日本でまた学生さんたちと再会できる日が楽しみです。ありがとうございました。


今夜は、PCO孤児院で過ごす最後の夜。
夜になるといつものように雷雨。時々停電もありましたが、滞在最後の日本語授業。子どもたちもろうそくを持って、全員参加でした!

(reported by KABAKO)

2011年8月24日水曜日

8月23日(火)もうすぐ新学期 <船津>

9月から新学期が始まります。みんな1学年ずつ進級し、未就学だった2名も学校が始まります。

学校に通っている子どもたちへ、新しい制服を作るために、子どもたちの採寸が行われました。
新しい制服を作ってもらえるということで、子どもたちもうれしそうです。

1人ずつ名前が呼ばれ、スタッフのビセットさんがサイズを記入されます。



1年経つと子どもは本当に大きくなるんですね。特に育ち盛りの男の子たち。今着ている制服が小さい子を見ると、1年でそんなに大きくなるものだと感じます。

セアロからのいただく支援のおかげで、子どもたちに必要な食事がいただけるようになったとスンタンさん。

制服、かばん、くつ、ベルトを新調されるそうです。新しい制服に身を包んで、「いってきます」と登校していく子どもたちの姿が目に浮かびました。

そして、さらにスンタンさんはおっしゃいます。
「何でも、セアロ、亜弥迦さんにしていただくのはよくない。日本のみなさんからの支援を待っているだけでなく、自分達でできるようになりたい。ここを卒業した子どもたちも、今自分達がしてもらっていることを忘れないで、このPCOや他のもっと貧しい子どもたちへサポートできるようになって欲しい」

今は、ここの子どもたちは本当に幸せだとスンタン先生はおっしゃいます。村の孤児には、もっと貧しい子ども、学校に行けない子どもがたくさんいる。だから、鉛筆1本を大切に使って欲しい。

何でも新しいものがうれしくて、最初のうちは大切に出来ても、次に新しいものが届いたら、前のものは大切にできなくなる。これは、子どもだけではなく、大人も同じかもしれません。物が豊かになればなるほど、その心を忘れてしまいます。

「最後まで、生かして大切に使うこと」これを自分自身がしっかりできるようになって、子どもたちに伝えることが、今のPCO孤児院に一番必要なことだと感じます。

(reported by KABAKO)

8月22日(月)荷造り <船津>

PCO孤児院の滞在も、残り3日となりました。今日は、ここで使わせて頂いていたものの整理と在庫のチェックを行いました。

箱やスーツケースから出し、品目別に数を数えます。荷物を広げると宿舎いっぱいになりました。ダイレクトアクションのときは、数名でこの作業を行います。今日は、手伝ってくれる仲間はいません。

「できることはすぐやる」ができていない自分の段取りの悪さがここにも。。セアロの声が聞えてくるようでした。

子どもたちが代わる代わる窓の外から、のぞきにきます。
まだまだ子どもたちに教える資格は自分にはない。自分のことをしっかりやる!!です。

どんどん外の気温が上がり、室内は蒸し風呂のようになります。汗だくになりながら、ダイレクトアクションみたいだなと思いました。

今日は一人。でも、なんとなく隣に誰かがいるような気持ちで、心は穏やかでした。時間は迫ってきますが。。

PCO孤児院での滞在ボランティアは、私で6人目になります。
また、カンボジアダイレクトアクションツアーに参加され、ここで鍋やお皿などの調理備品の在庫を数えられた方もいらっしゃいます。

いろんな方が、マジックで書かれている文字や数字を見て、本当にいろんな方が携わって支援をされているのだとしみじみ思いました。

見覚えのある字。なんだか温かい気持ちになります。みなさんからのリレー。

セアロを通じて、たくさんの人と人との出会い、繋がりがあって今自分がここにいることをかみしめました。

物を大切にすること、私の課題です。次の人への思いやり、亜弥迦さんがいつもおっしゃっている言葉を思い出しました。最終最後まで、今、自分のできることを心を込めて。。。

(reported by KABAKO)

2011年8月23日火曜日

8月21日(日)滞在最後の大そうじ <船津>

今日は日曜日「大そうじの日」。滞在開始後、第1週目の日曜日から始めて、数えること7回目。朝から澄み渡るような青空が広がり快晴です。

そうじの前にミーティングをし、リーダーを決め、4つのグループに分かれ掃除を行います。リーダーはやりたい子が手を挙げます。
最近は、小学生の男の子と女の子がリーダーをすることが多かったです。

今日もいつものように「今日のリーダーをしたい人」と尋ねると、最年長の男の子チョンライさんが「はい」と大きな声で手をあげました。

チョンライさんが自ら手をあげてリーダーをするのは初めて。周りの子どもたちから「おぉ~」という声が上がりました。いつも少し控えめなチョンライさん。でも、最年長の彼を、子どもたちは頼りにしています。

今日は、自分のリーダーの所に集まり、手を合わせ「頑張ります!!」の声で掃除を開始。










大掃除で伝えたかったことは、掃除の仕方を教えることですが、こんなことも伝わったらうれしいなと思い実施。
・リーダーが一番頑張ること。
・大きい子が小さい子のお手本になること。
・グループで力を合わせること。
・誰かが見ていても、見ていなくても時間まで、自分で頑張ること。
・きれいになった場所を心地よいと感じること。
・汗をいっぱいかいて、みんなで働くのは気持ちいいを味わってもらうこと。

どこまでそれが伝わったか分かりませんが、当初は遊んでばかりだった小さい子も、大きい子のマネをして掃除や草取りをするようになりました。

「口で言うのではなく、やっている姿をただ見せなさい。見せるだけでいいから」セアロから頂いたお言葉です。私も、この日は特にそれを意識して行いました。

大そうじの日だけは、教室もお部屋もピカピカになります。

「これが最後の大掃除ではなく、私が日本に帰った後も、みんなで力を合わせて、週に1回は大掃除をしてくださいね」と言うと、「はい」と大きな声で、リーダーの小学生の男の子が返事をしてくれました。
「本当ですか??また、見に来ますよ!!!」

『日曜日は、大そうじの日』この言葉は、みんなが覚えてくれました。


(reported by KABAKO)

2011年8月21日日曜日

8月20日(土)子どもたちの成長の速度 <船津>

滞在も残り4日になり、改めてこの2ヶ月に撮った子どもたちの写真を整理。滞在当初と今の子どもたちの顔つきが違うように見えます。女の子は、丸刈りにしたせいもあるのかもしれません。顔は少しふっくらとして、表情は少し引き締まったようにも見えます。

私が初めてこのPCO孤児院を訪問させて頂いた、昨年2010年6月の写真と見比べると更に大きな変化。

柱の影に隠れて見ている表情は、今はもうありません。日本語がだいぶ話せるようになって、自信もついてきたこともあるかもしれません。あどけない表情が少し大人になりました。






初めて会った時は、まだ赤ちゃんだった子が、今では敷地内を一番元気に走り回っています。















今この子は4歳。食事の時は、仏様の一番前に座り「いただきます」の号令を言い、三礼。
4年のうちの2ヶ月。子どもたちにとっての2ヶ月は、やっぱり大きいですね。だからこそ、この時期に何を見て、何を教わって育つかはとても大切なんだとつくづく感じます。


私も、両親、祖父母、先生、たくさんの人と出会い、みんなから何年もかけて幼少期にいろんなことを教えてもらい、今の自分があるのだとしみじみ思います。

そう思うと、セアロ、亜弥迦さんに出会わせてもらった奇蹟も、今ここでこの子どもたちにセアロを通じて出会わせて頂いたことも、今のこのかけがえのない体験すべてが、親やまわりの人が自分を育ててくださったから。

今夜は、久しぶりの満天の星空を見て、日本にいる両親の顔をふと思い出しました。「育ててくれて本当にありがとう」


明日は、滞在最後の大掃除の日です。満天の星空。晴天を期待して!!
PCOへ2ヶ月の感謝をこめて掃除をしたいと思います。ドロドロの汗を出し切って帰りたいです。

(reported by KABAKO)

2011年8月20日土曜日

8月19日(金)大きい子が動けば・・・ <船津>

午後の授業が終わるは、夕方4時。それから、暗くなるの5時すぎまでの時間を、野外での活動にあてています。とはいっても雨の日も多いですが。。。

滞在当初は、井戸で小さい子どもたちの水浴び、洗髪、洗濯実習を行う時間。今では、小さい子どもたちも、だいぶ1人でできるようになりました。

終わったら、小さい子たちは満足そうな顔をして「私、水浴び、洗濯もう」と私をみつけては報告にきます。今日も水浴びを終えて、すっきりした顔で報告にきました。


滞在が始まる前に、孤児院での日課表について、セアロ、亜弥迦さんから「ワークは、みんなでしようとしなくていい。1人でやっていて、手伝いたい子がきたら一緒にやったらいい」とアドバイスを頂きました。

実際にここへ来てみて、事前に考えていた自分の考えが本当に甘かったとしみじみ分かります。「1人でやっていて・・・」というアドバイスを頂いていなかったら、きっと頭でっかちな私は、子どもたちに一方的に「今日は~をしましょう」と指示をしていたと思います。

みんなに「~しましょう」というのは、必要なときもあります。本当に子どもたち、ひとりひとりの自立を考えた時に、初めて来てほんの2ヶ月滞在する私が、中途半端にものを教えることは、本当に不必要なことだと分かりました。それをきちんと伝える実力も、今の私にはないことも。。。


この時間は、1人で楽しむ時間と決めて、ゴミ拾いや草取り、レモングラス、えひめAIの実験などをしています。
でも、実際に始めてみると、この滞在期間2ヶ月近くを通して、最初から最後まで1人でやった日は数えるくらいしかありません。

1人で何かやっていると、誰か手伝いに来てくれます。同じ子が毎日ずっとという訳ではありませんが、日替わりです。本当に子どもたちは、大人が今、何をやっているかよく見ています。どこからともなくやって来ますから。

そして、その大人というのは、私だけでなく、年長の大きな子が何をやっているかということも同じです。
私がやっている草取りを、最近は年長の女の子シナーさんがやり始めています。

すると、それを見ている他の子たちも手伝いを。昨日の朝は3人。今日の夕方は、6人になっていました。
今日は、ゴミを燃やし、いつもより少し遅い時間に門に向かうと・・・「あら??」草をとってる子どもたちの姿が見えます。



私に気付いたシナーさん。笑顔で「かばこさーん!」と大きく叫び手を振ります。先をこされました。


この前の大掃除の時に、「草がいっぱい生えていると、虫が増えるので、少しでもこの草を減らして日本に帰りたいです」と言ったことを、覚えていてくれているのかどうかはわかりません。誰かに言われてするのではなく、自分からすすんで働いている子どもたちの姿は、楽しそうにも見えました。






草で覆われていた道が、だんだん開けてくるのが気持ちがいいです。「草取り瞑想?」その楽しさに気付いてくれたかな。大きい子が動けば、小さい子も動く。

(reported by KABAKO)

8月18日(木)2つの部屋が完成 <船津>

敷地内に建設中の建物。昨年、10月にこのPCO孤児院へ2日間滞在させて頂いたときは、壁を作る途中で中断され、子どもたちの遊び場になっていました。

今年2月に大久保さんが滞在されていた時は、建物の壁が作られている最中。まだ屋根はなく、壁が積み上げられていく様子をブログのレポートで拝見しました。













この7月に、セアロ・亜弥迦さんが孤児院を訪問されたときは、大久保さん帰国後にその建物に屋根が取り付けられていました。滞在開始時は、宿舎の方の外壁と屋根がちょうどできあがったところ。

それから10日の間に、宿舎の水道管、窓などが取り付けられ、外装・内装工事が終了。
滞在先を、孤児院の建物から、宿舎の方に移らせていただきました。







その後、宿舎横の建物の中の内装工事が始まりました。建物の中は、3つに仕切られています。うち2つの部屋が今日完成しました。

1つ目の部屋は、クメール語や英語の授業を、孤児院の子どもたちとこの村に住む子どもたちが学ぶための教室。
2つ目は、このPCO孤児院へ常駐されるカンボジアのスタッフの方のためのお部屋の予定とのことです。

建設途中は、孤児院前の道の工事が入ったり、悪天候続きで作業がストップしたことも・・・



1つずつ、1つずつ、手で積み上げられ、高くなっていくレンガ。すべて、子どもたちとスタッフの方のすべて手作りです。

日本ではあまり見かけることがないこのレンガを積み上げる光景も、カンボジアではよく見かけ、見慣れた光景になりました。
子どもたちも、スタッフの方の手伝いをし、レンガやコンクリート運びに汗を流しました。小学生の女の子がよくお手伝いしていました。




こうやって、2つのお部屋が完成していくのを見ると、月日の経過を改めて感じます。決して、早くはないけれど、1つずつゆっくりと、着実に出来上がっていく姿をしっかりと見させて頂きました。


(reported by KABAKO)

2011年8月18日木曜日

8月17日(水)実習ファームへ <船津>

今日は、実習ファームに行かせて頂きました。実習ファームを訪れるのは2回目。昨年の10月以来です。池が大きくなっているとお話を聞いていたので、実際に見るのがとても楽しみでした。


実習ファームが近づくにつれ、なんか以前と光景が違うような、もっと木が茂っている道を通ったような記憶がよみがえります。

さらに進むと、どんどん道が悪くなり、スンタン先生の顔が厳しくなります。ついにタイヤが泥にはまって、動かなくなりました。荷台に乗っていた子どもたちも降りて、車を後ろからみんなで押します。力を合わせ一生懸命押しますが、タイヤは完全にはまって動きません。

タイヤの回りの土を、スコップで堀り、枝を拾ってきて溝を埋めました。もう一度「モイ。ピー。バイ」皆で力を込めて押します。1回目、脱出成功!

さらに進むと、もっと道はなくなり水が道幅いっぱいにたまっています。
途中、3回ほどタイヤがはまり、さすがのスンタンさんも引き返すことを考えられていましたが。。今日の日を楽しみにしていた子どもたち。タイヤがはまるたびに車から飛び降りて、枝を拾ってきます。



子どもたちの頑張りで、なんとか実習ファームの門の入り口が見えました。
到着後、スンタン先生がとても残念そうにおっしゃいます。
「カンボジアは、一部の力のある人たちによって、どんどん木が切られています。だから道がなくなってしまった。このままでは、ここに来ることが難しくなってしまう」と・・・



マンゴーなどの木を植えるために、実習ファームへ行く道に今まであった自然林が、伐採されてしまったようです。小さいマンゴーの苗がもうすでに植えられているところもありました。


実習ファームの中に入り、池をのぞき込むと、その大きさにびっくり!!!聞いていたとおり、水が膝下までたまっていて本物の池になっていました。下に下りるために、土で階段まで出来ていました。

みんなの汗の結晶。人と人の力が合わさり、こつこつやればこんな大きな穴になるんですね。いや~もう本当に感動しました。


私も子どもたちと一緒に土運びをさせて頂きました。一歩一歩踏みしめる、裸足で感じる土の感触。炎天下の直射日光。まさに『カンボジア・ダイレクトアクションツアー名物の池ほり体験』を久しぶりにしっかり味わいました。

だんだん子どもたちも疲れが見え、日陰で休む子もちらほら。米袋のタンカを運ぶ人が1人2人とリタイアしていきます。「土を5回運んだら休憩。ほらタンカ持って。運ぶ」スンタン先生から子どもたちへゲキが飛びます。

「かばこさん今何回ですか?休み?頭あつくないですか?大丈夫?」子どもたちに聞かれますが、「何回目かわかりません。でも休まなくても全然大丈夫です!」


これまで、セアロ、亜弥迦さん、そしてここで働いて汗を流されたみなさん、子どもたちのエネルギーが集まっているからでしょうか。いっこうに疲れません。休むのがもったいないくらいでした。

まだ私一人やり足らないかんじでしたが、子どもたちは満足そうでした。雨が降ると帰れなくなるので、昼食を頂き、すぐに孤児院に戻ることになりました。

バナナの木も、マンゴーの木も大きくなっていました。最高の青空の下、本当にすがすがしく気持ちがよかったです。

ありがとうございました。

滞在もあと一週間。
ラストスパートです!

(reported by KABAKO)







2011年8月17日水曜日

8月16日(火)納豆作りⅡ <船津>

えひめAIで孤児院のトイレや台所の掃除をしていると、子どもたちは「えひめ。えひめ」といってじっと見ています。

私がえひめAIを使っていると、何度かえひめAI作りに挑戦したことのある年長のチョンライさんが話かけてきました。
「えひめAIの作り方はわかりますが、納豆が難しいです」
「何が難しいですか?」と聞くと「アリに食べられたり、虫がきたり、雨の日はできません」とチョンライさん。

お湯での保温せず、直射日光にあてて温めて作っていたとのこと。たしかにそれでは、雨の日は難しいですね。前回、私が納豆を作るときに、スンタン先生たちに「雨が降りそうですが大丈夫ですか?」と聞かれた意味が今わかりました。本当に鈍くてすみません。。

それでは、明日一緒に作りましょう!興味深くえひめAIの匂いを嗅いでいた年長の女の子シナーさんと3人で作ることに。

豆を煮ている間に、バナナ葉っぱの準備。「納豆は菌でできること。手や包丁、机には雑菌がいっぱい。きれいにしてやらないと失敗してしまう」と話をしました。まずは、手を洗い、アルコールで消毒。

「次は、バナナの葉を洗います」と言うと、「洗ったらだめです」とチョンライさん。
たしかに前回、作り方をお伝えたした時期は、日本でもバナナの葉を煮沸消毒をしてませんでした。今回情報を更新させて頂きました。

私がぐらぐら煮立ったお湯に葉っぱをつけると、チョンライさんは「あ!あ!大丈夫ですか?」と不安げ表情。以前作った時は、葉をタオルで拭き、水でぬらさないよう気をつけながら、かまどの湯気で葉っぱを柔らかくして包んでいたそうです。

「熱湯消毒は、雑菌を殺してくれます。納豆菌は100度でも死なないそうです。実験をするときは、使うスプーンや瓶も熱湯で消毒すると、アルコールがなくてもきれいになります。」
「ふきんや手ふきを洗う時、鍋で熱湯消毒して使うのもいいです。赤ちゃんがミルクを飲む瓶を熱湯消毒します」と伝えると、「スンタン先生も赤ちゃんのものにお湯を使われています」と思い出したような、シナーさんとチョンライさん。なぜ熱湯消毒するのか。赤ちゃんの哺乳瓶が繋がったようです。


豆を包んでいると子どもたちが近づいてきて、何か自分もやりたいとたくさんの手が出ます。
「洗ってない手で触ってはいけません。今回は、チョンライさんとシナーさんと作るので、見ていてください」子どもたちも興味津々でどんどん集まってきます。

今回は3種類の葉っぱに包み、瓶で保温して仕込みは終了。うまくできますように!

(reported by KABAKO)

8月15日(月)単語帳 <船津>

日本から持参していた単語帳を子どもたち全員へ渡しました。年長の子が持っている日本語・カンボジア語の辞書に憧れる子どもたち。
「単語帳に、わからない言葉をカンボジア語と日本語で書いておくといつでも見れていいです。大切に使って、日本語を勉強しましょうね」

いつも朝食が終わると外に出て遊んでいる声が聞えてきます。今朝は、誰一人外に出てきません。何か静かだなと思い、教室をのぞきにいくと・・・

大きい子も小さい子も一緒に混じって単語帳とノートや辞書を広げて勉強中。教わりながら、単語帳を読む練習をしている子もいました。

夏休みに入り、時間がたっぷりある子どもたち。いつもは、授業以外に勉強している姿はあまりみかけません。この真剣に勉強している姿。よっぽど単語帳が気に入った様子です。

















そして、一端宿舎に戻り、授業の開始時間。教室に行くと、女の子2人が駆け寄ってきて「ごめんなさい」と言います。

「何が、ごめんなさい?どうしたの?」と聞くと、二人とも背中に隠していた単語帳を申し訳なさそうにさし出します。
1人は「かみが、1まいとれました。ごめんなさい」
そしてもう1人は、「わたしクメールご。ない。ごめんなさい」と言います。

なんてかわいいんだろうと思わず微笑んでしまいました。当初、煩雑に扱っていたノートや鉛筆を今は大切にできるようになりました。セアロから頂いたものを持って「セアロ。セアロ」とよく小さい子同士見せあいっこ。本当にうれしそうです。

クメール語がわからない子は9歳で未就学。最近、孤児院に来た子で、今度の9月から学校に通えるようになりました。カンボジアでは、まだまだ学校にいけない子がたくさんいるそうなので、本当によかったです。

この子は、いつも日本語の授業に参加し、きれいにノートを書きます。これには、感心します。同じくらいの学校に行っている子より、書くスピードが早くてきれい。「あいおえお」も「あいさつ」もこの1ヶ月半でだいぶ覚えました。

「スレイレンさんは、クメール語より日本語を先に覚えてしまいましたね。クメール語は、その言葉の絵をかいてください。9月に学校に行ってクメール語を勉強したら、クメール語で書きましょうね」と伝えると「はい」とにっこり笑って席に戻りました。私の言うこの日本語が、わかるの・・・?

単語帳が破れてしまった子には、セロテープで補修して返しました。「ありがとうございます」と深々と頭を下げ両手で受取ります。


子どもたちの素直な心に感心しつつ、さて自分はどうなのか?自分は心から感謝し大切にものが使えているのか?子どもたちに伝える言葉が、全部自分への問いかけとなって返ってきます。

滞在中、子どもたちのおかげで、今まで気付かなかった自分、改めて感じる自分の癖、思考、感動、いろんな自分を見せてもらいました。これから先も、何年何十年かかっても、この頂いた体験を生かし、子どもたちに恥ずかしくない自分になりたい・・・滞在もあと10日です。

(reported by KABAKO)

2011年8月15日月曜日

8月14日(日)満月・大そうじ <船津>

今日は満月。朝から、仏様にもお供え、線香が立てられていました。

子どもたちも「今日は、月がいっぱいの日。おっきい日」と言っています。「それを日本では『満月』と言います」子どもたちにとっても特別な一日です。

満月の日の大そうじ。私も昨晩セアロから頂いたメッセージを心に刻み、みんなで元気に大そうじを開始。大そうじを始めた当初は、「今日は、大そうじをします。いつもの掃除よりもっと綺麗にします」と伝えても、何をしたらいいか分からずぼっと立っている子。小さい子には掃除の時間ではなく遊びの時間・・・


週に1回の大そうじも回数を重ねるごとにできるようになっていきます。少し離れたところで見ていても、子どもたち同士で分担したり、協力して掃除をしている姿を見るとうれしい気持ちになります。

朝方までの雨も上がり、掃除を開始する頃には晴れ間が広がってきました。今日は、室内(教室・台所・トイレ)、井戸の掃除は女の子の担当に。男の子は外の草取りをしました。

















連日雨が降り、時折見せる晴れ間。草はみるみる伸びます。その成長の早いこと・・・合間にちょこちょこの草取りでは、草の成長に追いついていません。

根がはり、手では抜けない草も多いので、桑やスコップを使って。日差しが強くなり、少しずつ気温も上がってきました。ちょっと女の子の様子を見に行って戻ると、男の子達の大半は日陰に入って一休み中。
私の顔を見て子どもたちは「暑いです」・・・。「このくらい暑くないです!日本の方が暑いです!(多分)時間まで頑張ります。」と私。

その中でも休憩をせずに黙々と草むらの中で働いている子が、なんと3人もいました!!今日のリーダーをしている男の子2人と小学校低学年の男の子。大きい子が休んでいても自分は休まず、私がいてもいなくても自分で頑張っている姿。顔いっぱいの大粒の汗、褒めるとはにかむ笑顔がまぶしかったです。

室内の掃除が終わった女の子達も外に出て草取りの手伝い。入り口、畑周辺の草をかご10杯分除草しました。まだ入り口の半分。滞在もあと10日。こつこつやっていきます。

きれいになったところをみると気持ちがいいですね。まずは、週1回でも子どもたち皆で協力してきれいにする習慣がついたらいいなと思います。



草取りの後は、泥だらけのヨギ服を洗濯。女の子達は、このヨギ服を「きれいです」と言います。自分の服は泥だらけでも、ヨギ服が汚れているのは気になるようで、小さい手で泥をはらってくれます。

生地が薄くなったヨギ服を見ると月日の経過を感じます。ヨギ服が時間短縮に大きな助けとなってくれています。ヨギ服と坊主頭の良さを実感!!です。

(reported by KABAKO)

8月13日(土)オールドマーケットへ <船津>

今日は、久しぶりに市場へ出かけました。工事中で道が悪いので、車やトゥクトゥクが孤児院の近くまで入って来れません。シヌーンさんのオートバイで連れて行っていただきました。

カンボジアでは、運転する人はヘルメットの着用が義務付けられているそうです。今は、同乗者の着用の義務はありません。普通のオートバイに2人乗り、3人乗りは当たり前。オートバイが一家の車代わりです。

私はいつもヨギ服なので、バイクにまたがることはできません。バイクの後ろに横座りになって、20リットルの水の空のタンクを胸に抱え、ミャンマーワンショルダーバックを斜めにかけ、ウエストポーチ姿で出かけます。首にタオルを巻いて私の買い物のフル装備です。

道が凸凹で不安定なので、横座りはバイクから何度も落ちそうになり、初めは少し怖かったです。今ではすっかりそれにも慣れました。人間どこにいても慣れるものだとつくづく感じます。

市場での買い物も、1人でなんとか出来るようになりました。前に行った八百屋へ行くと笑顔でおばさんが迎えてくれ、野菜をサービス。ヨギ服を着ていると、お店の人も1回で覚えてくださいます。

市場内を少しだけ散策。入り口には、豚肉、鶏肉、干し魚屋が並びます。それから八百屋、お惣菜を扱うお店。



ちょっと奥に入ると、日用品、生地屋、洋服屋、靴屋などがあり一通りなんでもそろうようになっています。

ロンジーに良さそうな生地屋さんも数件。以前に象さんの柄がかわいいと人気だったロンジー生地をみつけました。






カンボジアのスパイスとお茶が並んでいる店を見てみると、カンボジアレモングラスティー、ロータスティー、ジャスミンティーetc..

レモングラスはパウダー状にしてスパイスとしても。またお土産用のレモングラスティーは、藁のように白くなるまで乾燥して売られていました。






買い物を終え孤児院へ戻ると、自習していた子どもたちが「おかえりなさい」と駆け寄ってきます。一瞬、家に帰ってきたようなほっとした気持ちになります。子どもたちの元気な声で、元気復活です。

(reported by KABAKO)



2011年8月14日日曜日

8月12日(金)夕暮れ時 <船津>

日も傾き始めた夕方5時を過ぎた頃、また停電で灯りが消えました。今日は、1日まとまった雨もなく穏やかな日でしたが、停電は雷雨の日だけではないようですね。

何度か停電を体験するにつれ、私も子どもたち同様、電気がない暮らしに慣れてきました。「また電気きてませんね~。ないですね~。」というのも日常の会話になりました。「はい。予備のろうそくの準備」
電化製品は、冷蔵庫も洗濯機もクーラーもないので、これといって電気がなくても困るものはありません。


唯一の電化製品、デジカメ、パソコン、携帯電話の充電を忘れずやっておくことと、トイレの水を桶とバケツに溜め置いておくことさえできていれば、1日~2日の停電は大丈夫です。

暗くなる前に、夕食を食べようと30分早く子どもたちはさっさと夕食を済ませていました。

夕食後、いつもなら子どもたちは室内で過ごしています。孤児院に1台だけあるテレビをみんなで見たり、本を読んだり、絵を描いたりして過ごしています。

今日は、停電で室内より外の方が明るいので、夕食後もみんな外に出て過ごしていました。













魚缶(カンボジアでは良く食べられるトマト味の魚の缶詰。日本でいったら鯖缶のようなもの)の空き缶で糸電話を作ったり、(私も小さい時は、プリンのカップで作りました!)

石でおはじきのようなことをしてみたり(小さい子どもも、真剣勝負!)
おもちゃはありませんが、子どもたちの手にかかれば、なんでもおもちゃや道具になります。







少し大きい子は、孤児院のまわりを見て周り、窓の雨漏りの補修。板を拾ってきて、雨が降りこんでくるところにハンマーで打ちつけていました。

なんでも買いに行く日本と違い、子どもたちは何でも使えそうなものを見つけてきます。今思うと、小さい頃の自分もそうだったような気がします。いろんなもの拾ったり、見つけてきては何かを作ったりおもちゃにして「なんでも拾ってこない」と叱られた記憶があります。子どもの遊びは、国が違っても同じなんだなと思います。

日も完全に落ち、当たりが真っ暗になった頃、電気が戻りました。夜はいつも通り日本語の授業をすることができました。

(reported by KABAKO)